集落支援員だより(8月号)

ある日の昼下がり、近所の方が「“わが懐かしの出雲”の余分はありませんか」と聞きに徳地交流センターに来られました。話を伺うと、家に配られたものを見て、昔の地図や懐かしい写真に感動され、大阪にいる親戚や徳地を離れて行った知り合いに送ってあげたいのでと言われました。「地域が元気になるとはこういうことなんだ」と、その時思いました。

思い出せるものがある。それをネタにして語り合えるものがある。遠くの人に知らせて喜んでもらえるものがある。それを見て昔を懐かしみ、徳地に帰ってみたい、昔の街道を歩いてみたいという気持ちになれる。

それぞれに感傷にふける思い出が詰まっているマップには魔力があります。中心になってマップの作成に当たられた清水満里子さんのセンスに負うところ大ですが、出来上がったものをみて、該当地区だけへの配布では勿体ないということで徳地全戸に配布されました。

誰となく集まって話し合っていると、このような地域みんなが楽しめるものが生まれてきます。一人ではしんどいけど、おおぜい集まれば苦にならない。昔を知る多くの知識人が集まって「ああでもない、こうでもない」と言い合いながら出来上がった産物です。

このように喜んで使っていただければ、関わった人にはこれほど嬉しいことはありません。それとなく集まって話し合うことをこれからも大切にしたいと思いました。   (集落支援員:市原)

      ―白熱した議論の一場面―

集落支援員だより(7月号)

集落支援員だからかどうかはわかりませんが、ときどき難しい問題を投げかけられます。「飛鳥時代の徳地のことに詳しい人を探してほしい」とか「昔は固有の名前がついていない地域には「い」「ろ」「は」「に」「・」という地名を付けていた。佐波川沿いに「ほ」という村があったそうだが、どの辺りか分かる人はおられないか」等々。

これらの問題にひとつひとつ取り組んでいくうちに、「私は×××ができます」「あの人は〇〇〇が得意です」という情報をみんなで持ち寄って誰でも利用できる「徳地人財マップ」(人材でなく敢えて人財の字を用います)が出来れば、いろいろな活用が考えられるのではないかと気付きました。

ラジオで夏休み等に「子どもなんでも相談室」といった番組があります。徳地でも例えば星に詳しい人が身近におられれば、夜空を一緒に眺めいろいろなことを教えてもらうことができます。また昔のことに詳しい人の話を聞けば、老いた人は若かりし頃を思い出し、若い人は昔の暮らしを知ることができます。

この「徳地人財マップ」を活用して、特に時間に余裕がある高齢者の方々に大いに活躍していただく機会が増えれば、また違った「徳地の未来」が開けて来そうな気がしています。

(集落支援員:市原 茂)

          ―昭和16年まであった佐波川の舟橋―

ふるさととくぢ集落支援員だより(6月号)

徳地版もうかる農業プロジェクト

 4月交流センターで「徳地版もうかる農業セミナー」を行いました。キッカケは、2月「山口市もうかる農業創生セミナー」で、今、市内南部地区で実証実験されている実態を知ったからでした。

この実験に参加されている生産者から生の声を聞くことが出来ました。

「野菜のパック詰めや選別の作業に今まで5時間かかっていたが1時間で済むようになった」「今2町歩野菜を作っているが今年5町歩にする」「儲かるので子どもが後を継いでくれた」。

 この実験は、山口市とスーパーと道の駅と生産者(山口市南部地区)が連携して野菜に特化して取り組んでいるものです。何故南部だけで実験されているのかを質問しました。「希望者がおられれば徳地に話にいきますよ」との回答をいただき、今回の開催につながりました。できれば徳地全域から希望者を募るべきでしたが、実験ということもあり小さく始めて早く実績を作り、良い評価が得られれば全体に広めて行こうと考えました。

 すぐにでも実験に参加したいという希望者が数人おられ、今その準備を急いでいるところです。南部地区の実態を参考にして「徳地版もうかる農業」が広がれば「休耕田の解消」「後継者の確保」「定住人口の増加」等の課題解決のみならず、「活気あふれる、みんなが豊かな気持ちになる徳地」が必ずやってくると信じています。

                  (集落支援員:市原 茂)

      徳地版もうかる農業セミナーでの加工品試食の一幕

ふるさととくぢ集落支援員だより(5月号)

本誌編集者の池田さんの所に宇部の人から「徳地出身で、藤本3兄弟という、3人揃って博士号を取られた方がおられる。その方たちのお墓を探してもらえないだろうか」という電話が入りました。

早速仲間と資料や近所の長老の方々の情報を頼りに、それらしき周辺を中心に探しました。場所は漆尾の山中です。昔は公園だった広場が今は木や雑木で覆われていました。なかなか見つからず仲間が諦めて「帰ろう」と促したので、頭を上げた瞬間、資料にあった墓の写真に似た光景が木々の間から見えました。

蚕糸業に関する多くの著書を出された農学博士の次男、京都大学経済学部長経済学博士の三男、東京第一師範学校長や愛媛大学初代学長をされた文学博士の四男と、華々しい功績を残された3兄弟が地元から出られたということは、特に子どもたちにとって大きな励みになるのではと思いました。この田舎にいても、徳地でできること、徳地だからできること、徳地からできることがいろいろあることを3兄弟の話を知って感じました。                                               (集落支援員:市原)

          藤本3兄弟の記念碑

ふるさととくぢ集落支援員だより(4月号)

先月号のこの欄で「佐波川美化ボランティア活動」について述べました。少人数で始められたこの活動に賛同し協力していただける方々が日に日に増え、地元以外からも参加したいとの声が届いているそうです。

大藪だったところが今はまだ一部ですが車で乗り入れることができるまで刈り取られ、先日は数人でキレイになった草むらに椅子を持ち込んで弁当を食べました。以前とは見える風景も変わり、砂辺や水の流れが一段と清々しく感じられます。子どもたちが楽しく遊び回る光景を早く見たい、それを励みにみんなで頑張っておられます。

                     (集落支援員:市原)