藤本3兄弟の記念碑取材

宇部在住の作家堀雅昭さんと山口新聞の毛利記者が徳地の漆尾にある藤本3兄弟か建てられた記念碑の取材にこられました。記念碑に刻まれた自彊不息の説明を堀さんから聞きながら 、このことを子供達が知ったらきっと勇気づけられるだろうなと思いました。3人はそれぞれ農学博士、経済学博士、文学博士となられ、それぞれの分野で顕著な業績をあげられています。地元徳地にこのような方がおられたということは徳地の誇りでありやればできることを私たちに語りかけているように思いました。

佐波川美化ボランティア活動

徳地ワイガヤの会のメンバーが中心となって始めた活動が大きな広がりとなっております。地元だけでなく遠く市外のかたからも活動に是非参加したいと連絡がありました。キレイな川で思う存分子供を遊ばせたいと言われました。暖かくなってきますので早くキレイにしようと皆さん頑張っておられます。

新しい取り組みに対するヒント

 東京のIT企業の方が過疎地域でのビジネス(主に交通関連)を探りに視察に来られ、その意見交換の場に同席しました。

「停留所までどのくらいの距離であれば歩くことが可能か?」とか「ある程度人数が集まらないと送迎するのにも効率が悪い」とか企業目線の質問が相次ぎました。

「田舎の高齢者は街に出かけるときは、例え病院に行くとしても帰りには買い物をして帰る。行きは身軽だから多少歩けたとしても帰りは荷物があるので家まで送ってもらわないと歩けない」

「田舎は車を運転しないと仕事にならない。高齢者が安全で安心して運転できるような技術開発にビジネスチャンスがあるのではないか」等のやり取りをしました。

後日「今回の視察に於いて、大変心動かされるものがあった。社内で情報共有を図り、更に検討を深めたい」旨のお礼のメールがありました。

 相前後して奈良の観光案内をされているボランティアの方々が徳地に来られました。

「東大寺南大門を案内するとき、山口県の徳地でとれた木が使われていますと説明しています。徳地とはどんなところか一度は見ておく必要があるので来ました」と言われました。

野谷や岸見の石風呂をご案内し重源の郷では石風呂に入って実体験されました。法光寺では奈良の南大門の木が徳地産であるという根拠になるお話を住職が熱く語られ、納得と感動をされて帰られました。  

ビジネスにしろボランティアにしろ、自分の目で見たり、確かめたり、自分の5感で感じることによって、またその土地の人の話をよく聞くことによって新しい取り組みに対するヒントがそこにあると思いました。              (集落支援員:市原)

法光寺にて

集落支援員として徳地に来て1年が経ちました

 昨年10月集落支援員として徳地に来て1年が経ちました。最初の頃、藤山浩先生の「徳地の人口分析調査」の報告会が各地区でありました。「このままだと集落が消滅する。何とかしなければ」という同じ想いを持つ人が数人来られ、話し合う場ができました。何回か話し合っていた時、ある方から「地域の事も知らずに話し合いだけしていることに意味はあるのか?」というお言葉をいただきました。

「そうだ。話し合って意識が変わっても行動が変わらなければ意味がない」とその時気付かされ、話し合っている仲間で「出来ること」から行動に移ることにしました。

小学生が自分たちが撮った写真を動画にする手伝いをしたり、高校生の文化祭に協力したり、お祭りで子どもたちに「おにぎりのにぎり方」を体験してもらったりしました。

まだまだ小さなことですが今は小さな積み重ねが大切と思って行動しています。

「色々な行動をされているから、皆さんに活動を紹介されたら」と先にお言葉をいただいた方から声がかかりました。「少しは認められつつあるのかな」と嬉しくなり、今後は「活動をもっと知ってもらう」ことにも力を入れて行こうと思いました。

皆様の「話し合いの場」が徐々に広がりつつあります。「八坂を元気にプロジェクト!」も動き始めました。私自身、徳地のことをもっと知り、集落支援員として今後もこのような話し合いの場づくりを支援したり、時には話し合いに加わって皆さまの考えを引き出すお手伝いができたらと思っています。            (集落支援員:市原)

”心に残った風景”  どこかおわかりですか?